【岡山県】宗忠神社が信仰する黒住教を広めた幕末プロデューサー赤木忠春【大元神社】

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神社探偵

神社のミステリーを探るべく、最初に選んだのは宗忠神社。
まいられぇ岡山に記載があり、なにより私にとって身近な神社だ。
小さいころ東古松に住んでいた。
その頃に母親が入院していた時期があり、
病気平癒祈願のため祖母に連れられてよくお参りしていたのだ。
今でも宗忠神社に来るとその時の事を思い出す。

宗忠神社に、どんな秘密があるのか調べてみよう!

神社探偵kao
岡山の神社を巡る自称『神社探偵』
・放課後等デイサービスの元管理者
・モットーは『終わりよければ すべて良し』
・趣味:読書(脳神経系・都市伝説系・推理系・心理系)
・愛知学院大学 心理学科卒業
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宗忠神社を建立した!幕末のプロデューサー赤木忠春

宗忠神社は、黒住教の教祖 黒住宗忠が祭神。
ではなぜ、赤木忠春の名が冒頭に…

一介の人間が祭神になるということはとてつもなく凄い事。
現代で考えると、一般の少年、少女が押しも押されぬスターになる。
それ以上の事ではないか。
幕末に芸能事務所があるわけではない。

ただ、そこに敏腕プロデューサーがいれば叶うことかもしれない。
そのプロデューサーこそが赤木忠春なのだ。

赤木忠春は生誕地は岡山。
22歳で両眼失明。失意の中、黒住宗忠の講席を聞く機会があった。
そして話の内容に感銘を受けた。
どのようなお人かと顔を上げた瞬間に黒住宗忠の顔が見えた。
目が見えたのだ。

ここから一気に黒住教の熱心な信者になった。
もともと聡明な赤木忠春。
たちまち黒住教で頭角を現すようになった。

赤木忠春が心酔した幕末三大新宗教「黒住教」とは?

黒住宗忠は、神職の家に生まれ小さい頃から神様は身近な存在。
父母をとても大切にしていたが、相次いで亡くしてしまう。
気力を失った所に肺病を患う。
死を覚悟した時、正月に初日の出を拝むと陽の暖かさ感じ、
その陽の中に『天照大神』を感じたのだ。

黒住教では、日の出を拝む『日拝』を大切にしており
『まること』の精神、歪みや偏りのない調和のとれた丸の状態の
精神をもって生きることを大切にしているそうだ。

教祖の説いた7か条に、その精神が現れている
・生かされて生きている、自分一人で生きているのではない
・腹を立てて冷静さを失うな
・常に謙虚さと向上心
・楽に逃げない
・為すべき務めを果たす
・人に社会に誠実であれ
・感謝、感激を忘れない

赤木忠春は英照皇太后を救済!結果【黒住教が拡大】

信望していた黒住忠宗が亡くなった。
黒住の教えを広めようと赤木忠春を含む6高弟が全国に散らばった。

赤木忠晴は京都に赴き、熱心に布教に取り組む。
同時に黒住教の合法化を図るため吉田家に接近。
神号獲得のため請願活動を行い、宗忠大明神の神号を得たのだ。
この時点で宗忠は神と認められたのだ。

さらに躍進する。
のちに孝明天皇(明治天皇の父)の妃になる九条 夙子(のちの英照皇太后)の
病気治癒を契機に公卿の入信が一気に広がる。

教えの素晴らしさがあるのは大前提だが、
赤木忠春の人脈の築き方が凄い。
地位など関係なく淡々と教えを説く信仰心と胆の座り方。

ここからは想像でしかないのだが、
人をひきつける話し方、声や体や目の動き方と使い方、
おそらく最高のパフォーマーだったのではないか。

そして現在の宗忠神社

こちらの写真は「AC写真」より

黒住教をプロデュースしパフォーマンスで見せていく。
幕末の不安が渦巻く時代の時流に乗った事もあるかもしれない。

しかし、赤木忠春の功績として京都に宗忠神社が建立され、
地元岡山にも立派な社殿が建立できたのだ。
現在もなお、多くの信者に親しまれている事実は確かにある。

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