岡山城の近くにある岡山神社。
岡山にあるから岡山神社。
なんと安直なネーミング。←失礼です
見た目コンクリートだし。
最上稲荷や吉備津神社のような古くからあるようにみえないし。
あまり厳かを感じない雰囲気。←再び失礼です
私の岡山神社のイメージはそんなもん。
いやいや、まったく知らなさすぎだった。
しかし、調べるとなんとも奥深い秘密があったのだ。
神社探偵kao
岡山の神社を巡る自称『神社探偵』
・放課後等デイサービスの元管理者
・モットーは『終わりよければ すべて良し』
・趣味:読書(脳神経系・都市伝説系・推理系・心理系)
・愛知学院大学 心理学科卒業
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えっ岡山にあるから岡山神社じゃないの?
岡山県にあるから「岡山神社」って名前じゃろ?
そんな地域名由来の安直なネーミングなんじゃろ?
と思ったあなた!!!
私と同じ勘違い仲間で決定です。
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……
実は岡山神社の由来は「岡山県にあるから」ではなかったのだ。
創建当初(平安時代)は、今の岡山城の場所にあった。
その時の名は
・坂下(さかおり)明神
・岡山明神
と2つの名で呼ばれていたのだ。
『坂下明神(岡山明神)』は神社が丘の上にあったので、
「丘→おか→岡」で岡山の明神様
と呼ばれていたみたい。
地元では親しみをこめて「岡山の明神様」と呼んどります、みたいなことかな。
つまり、岡山神社が先に岡山を名乗り、その後に岡山県ができたのだ!
失礼しました岡山神社さま。
しらんかったわ。
岡山神社は2つの神社の争いに勝利?不憫な神社は……。
岡山神社はもともと現在の岡山城があった場所に建てられていた。
しかし、宇喜田直家が岡山城を築くときに2つの神社が今の場所に移設された。
1つは岡山神社である。
岡山城の守護神として岡山神社は城主より土地をもらったのだ。
もう1つの神社は今村宮である。
城郭内(城の敷地内)にあった今村宮は他の地に移設させられた。
今で言うと、立ち退きにあったのだ。不憫すぎる神様。
今村宮は岡山城の敷地外に立ち退きをくらい、岡山神社は城主である宇喜田直家がお参りするために土地まで頂いて生き残った。
どうして、岡山神社は城郭におかれ、今村宮は城郭におかれなかったのか?
どうして、宇喜田直家は岡山神社をお参りするほうに選んだのか?
私は「2つの違いは祀っている神様にあるのでは?」と考えた。
そこで御祭神について調べてみた。
岡山神社と今村宮 移転場所の違いはなぜだ
岡山神社は、城内の鎮守様として代々の城主がお祭りしていた。
鎮守様とは、国(今回では吉備の国)の平和を守り、災いや戦乱から守る神様なのだ。
では、岡山神社の鎮守様とはだれなのか?
岡山神社の御祭神は、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)。
……なんとも噛みそうな名前だ。というか噛んだ。
あの桃太郎のモチーフとなった吉備津彦命(きびつひこ)の姉ちゃんなのだ。
孝霊天皇の皇女である。
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)は逸話の多い神さまなのだ。
・天皇一族のかたで、巫女だったかも
・あるいは卑弥呼だったかも
・予言や託宣で謀反を食い止めたとうわさされていた
ということは、宇喜田直家は天皇に忖度をして……
天皇の一族をお祭りしているから、
岡山神社が岡山城の守護神になったのか?
でも、今村宮(神社)も天照大神をお祭りしてるやん。
天照大神といえば、天皇家の始祖といわれとるやん。
このあたりは、調べても分らんかったのよ。
なので。ここからは勝手な妄想をします!
今村宮は産神様の色合いが強いから、地域の人に託したのかも。
産神様とはその土地に生まれた氏子たちを見守る神様。
見守られている地域の人がお世話してね的なことなのかな。
つまり、お世話になった親を今度はあんた達が面倒見なさいよみたいなことなのか…。
でもまだ謎は残る。
宇喜田直家が城主になったころは戦乱もまだまだ落ち着いていない。
城主は戦いに強い神様を選ぶ傾向が強い。
勝たないと何も始まらない時代だからね。
でも、岡山神社の御利益は、延命長寿・商売繁盛・社運隆昌・交通安全・縁結びなど。
つまり、吉備の国の民のための御利益に見えるんだな。
民の長寿や子孫繫栄を願い、流通の発展や国が潤うよう願った、かもしれない。
でも、御利益も時代とともに変わってきているかも。
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)は、予言や信託で謀反を食い止めた逸話があり、
そこに惹かれて主祭神としてお祭りしたのかもしれない。
戦国の世は、誰が信頼できるかはとても重要なこと。
神によって第六感とかひらめきを受けたかったかもね。
あくまで、これらは私の妄想としての話です。
岡山神社の現在(いま)
岡山も第二次世界大戦中に戦火を浴びた。
岡山の中心である岡山神社周辺は焼野原だったそうだ。
戦後の復興で、焼けた本殿や拝殿をコンクリートで作り直した。
木材ではなくコンクリートで作り直したのは、一刻も早く復興したい気持ちからかもしれない。
そんな気持ちも知らず、コンクリートは厳かでないなんて。
失礼でした。反省しています。
ただ、焼け残ったものもある。
それが髄神門なのだ。
髄神門は神様を守る神様がいる門のことで、今でも見ることができる歴史ある門だ。
戦火をも逃れた門とのことで、ここをくぐると幸せになると言われているらしい。
そして芸術交流作品が境内にある。
岡山芸術交流は、3年に1度岡山で開催される現代アートの国際現代美術展だ。
岡山城周辺に芸術作品を取り入れ、散策しながら芸術に触れることができる美術展。
その中の1つが岡山神社の境内で見ることができる。
でも知らないと、なんでこんなものがここにあるん?って思わなくもない。
考えてみれば、昔の境内には社殿装飾と言われる多くの彫り物が見られる。
さらに狛犬も芸術品だ。神様に喜んでいただく装飾の数々。
※岡山神社の狛犬さま お顔が少し大きめで可愛い※
現代の芸術を神社が取り入れることは、自然なことかもね。
※境内にある芸術作品 升目の木枠が作品です※
御祭神が女性であることで今では縁結びのご神徳があるともいわれている。
そして縁あって結婚となると神前式(神様の前で結婚式が行える)もできる。
縁結びはあるけど、神前式はできない神社もあることを考えると、至れり尽くせりだ。
岡山神社「神前結婚式」
岡山神社は住民の幸せを見守る神様
平安時代は丘の上から民を見守る。
岡山城ができたあとは、吉備の国を見守る。
そして今は岡山県全体を見守る、鎮守様なのだ。
神社として地域が望む芸術や神前式を実施。
人とともに変貌を見せる神社。
岡山神社は、岡山に住む人々と共に進化を続ける神社だったのだ。
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