スパイダーマン2を見ました
1とはがらりと変わって、内面的なところのストーリーのように思えました。
考えさせられるところがかなりありました。
昔、英雄は日常を守れるけど、英雄は誰に守られるんだろう?と思ったことがあって。
英雄が人を救わないと、失われる人も多いし、英雄はやめることもできないんだなーと考えたことがありました。
スパイダーマン2を見ても思ったんですが、英雄が英雄をやめられないとしても、英雄をやめられる時間があるといいなーと思ったのを覚えています。
英雄は日常を守るけど、英雄を守るのもまた英雄が人でいられるささやかな日常なんだろうな、と。
でも、英雄なんて大きな話しではなくても、どんな人でも安心できる帰る場所があることは大事なんだろうな、と改めて思いました。
あと、
スパイダーマン2を見て、英雄もまた誰かに守ってもらって良いんだって思いました。
「英雄だからがんばって当たり前でしょ」と思う人もいれば、
英雄を、1人の人間として助けてあげたく思う人も同時にいると思いますし。
僕のカウンセリングを受けている人で「子どものためにがんばらなきゃ!」って、無理している親御さんが複数人いるんですが。
いつも質問することがあって
「あなたが子どもの立場だったとして、今の親であるあなたを見たとき、どう言葉をかけたいですか?」と聞くと
「私が子どもだったら、『いつもありがとう。そんなにがんばらなくていいよ。たまには頼ってほしいよ』と答えると思います」と答える人も多いです。
子どももそれぞれですが、親に求めているのは「自分のために犠牲になるること」ではなく、
『幸せでいてくれること』
『一緒にいてくれること』
『頼ってくれること』
みたいなことを求めていることが多かったりします。
なんか話しがそれている感じがありますが
「自分が誰かを助けてあげなくちゃいけない」と責務を背負って、無理をしているときって、
見えなくなることも多いんだなーと気づかされます。
スパイダーマンも同じで、1人で背負わず、助けてほしいことがあれば、「助けてほしい」って言ってもいいのに、と思いました
親であれば、自分を1人の名前ある人間ではなく、「親」と考えて
子どもを、1人の名前ある人間ではなく、「子ども」として見ているように感じるときがあります。
同じようにスパイダーマンも、自分を1人の名前ある人間ではなく、「スパイダーマン」と考えて
人々を、1人の名前ある人間ではなく、「助けるべき人々」として見ているのかな、と。
そんなことを考えながら、長文になっちゃいました笑
いや、スパイダーマン面白いです。もっと単純なのかと思っていたで笑 正義VS悪みたいな笑