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完璧主義で怖いのは「失敗」ではない。「失敗した自分には価値がない」と感じること

完璧主義で本当に怖いのは、失敗そのものではありません。
失敗した瞬間に、「できなかった」で終われず、「自分は能力がない」「意志が弱い」「こんな自分には価値がない」と、自分全体の否定まで広がってしまうことです。

だから、寝坊した、決めたことが続かなかった、人にきつく当たってしまった、といった小さな失敗でも、必要以上に苦しくなります。

問題は、高い基準を持つことではありません。
失敗と自己価値が結びついていることです。

では、なぜ私たちは一つの失敗から、ここまで一気に「自分はダメだ」と飛んでしまうのでしょうか。

もくじ
1. なぜ、一つの失敗で「自分はダメだ」まで行ってしまうのか
2. なぜ「できなかった」が「自分はダメ」に変わるのか
3. 完璧主義の奥にある「ちゃんとしていないと価値がない」という感覚
4. なぜ、うまくできても安心は長続きしないのか
5. 「自分はダメ」は、いくつもの不安をまとめた言葉
6. 失敗したとき、何を切り離せばいいのか
7. 「できなかった自分」を、そのまま全否定しないために

8.【ワーク】「自分はダメだ」と決めつける前に、「事実」と「自己評価」を分ける

1.なぜ、一つの失敗で「自分はダメだ」まで行ってしまうのか

「朝、起きようと思っていた時間に起きられなかった」
「また夜更かししてしまった」
「決めていた運動をサボった」
「家族にきつい言い方をしてしまった」
「食べすぎた」
「片づけようと思っていたのに、結局できなかった」

一つひとつを見ると、どれも「今日はうまくできなかった」で終わる話です。
ところが、頭の中ではそう終わりません。

「またできなかった」
「なんで私はいつもこうなんだろう」
「意志が弱い」
「性格が悪い」
「結局、自分はダメなんだ」

いつの間にか、評価の対象が「今日の行動」から「自分という人間全体」に変わっています。

なぜ、一つの失敗がここまで大きくなるのでしょうか。

そこには、「失敗した」から「自分はダメだ」までを一気につなげる心の仕組みがあります。
そして、その中心にあるのが、自分の価値を、自分の行動や出来具合で確かめようとすることです。

2.なぜ「できなかった」が「自分はダメ」に変わるのか

たとえば、「今日は早く寝よう」と思っていたのに、またスマホを見続けて夜更かししてしまったとします。本来なら、「今日は夜更かししてしまった」という話です。

ところが、そこから頭の中では、

「また守れなかった」
↓
「自分は意志が弱い」
↓
「何を決めても続かない」
↓
「こんな自分じゃダメだ」

と話が進んでいきます。

あるいは、家族や恋人に少し強い言い方をしてしまったとします。
本来なら、「さっきの言い方はよくなかった」という一つの行動について考えれば済みます。

しかし、

「また嫌な言い方をした」
↓
「私は性格が悪い」
↓
「こんな自分と一緒にいたら相手は疲れる」
↓
「自分なんていない方がいいのかもしれない」

と、話がどんどん大きくなることがあります。

ここで起きているのは、行動の評価が、そのまま自分全体の評価に変わることです。

「今日できなかった」と「私はダメな人間だ」は、本来かなり離れた話です。
ところが完璧主義が強いと、この距離がほとんどなくなります。
なぜなら、自分の中に、「ちゃんとできる自分には価値がある」という感覚があるからです。

3.完璧主義の奥にある「ちゃんとしていないと価値がない」という感覚

完璧主義というと、「何でも完璧にやりたい人」というイメージがあります。

でも、実際にはもっと身近な形で出てきます。

「約束したことは絶対に守らないといけない」
「人に迷惑をかけてはいけない」
「感情的になってはいけない」
「健康的な生活を続けないといけない」
「ちゃんと片づけないといけない」
「嫌われないようにしないといけない」
「一度決めたことは最後まで続けないといけない」

こうした基準そのものが悪いわけではありません。

問題は、それができなかったときに、
「できなかった」ではなく、「そんな自分には価値がない」と感じることです。

たとえば、友達への返信を何日も放置してしまった。
そこで、「返信を後回しにしてしまったな」で終われば、次に返せばいいだけです。

でも、

「ちゃんと返信できない」
↓
「私は人付き合いができない」
↓
「人を大切にできない人間だ」
↓
「こんな人間なら嫌われて当然だ」

と進んでいく。

このとき、本当に怖いのは「返信が遅れたこと」だけではありません。
その失敗によって、「自分はちゃんとした人間ではない」と確定してしまうことが怖いのです。

だから、一つの小さな失敗でも重くなります。
完璧主義の奥では、「もっと良くなりたい」だけではなく、「ちゃんとしていない自分では不十分だ」
という感覚が動いていることがあります。

4.なぜ、うまくできても安心は長続きしないのか

ここで一つ、不思議なことがあります。
ちゃんとできれば安心できるのなら、成功体験を増やしていけば、だんだん自信がつくはずです。

でも、実際にはそうならないことがあります。

一週間、毎日早起きできた。
すると、「自分はもう大丈夫」ではなく、「せっかく続いたんだから、明日も崩してはいけない」となる。

部屋をきれいに片づけた。
すると、「よくやった」よりも、「今度こそ、この状態を維持しないと」となる。

人に優しくできた。
すると、「私は人を大切にできる」より、「次もちゃんと優しくしないと」となる。

うまくできたことが、自信として積み上がらない。
むしろ、次に失敗できない理由に変わっていきます。

なぜでしょうか。

それは成功が、「自分には価値がある証拠」ではなく、「自分はダメな人間ではないと、今回は確認できた」という一時的な安心として使っているからです。

その安心は、次の失敗が起きた瞬間に揺らぎます。

すると、

「昨日までできていたのに」
「せっかく続いていたのに」
「また元に戻った」

と、以前より強く落ち込むことさえあります。

成功しても楽にならない。
なぜなら、目標が「できるようになること」ではなく、「自分がダメではないことを証明し続けること」になっているからです。

5.「自分はダメ」は、いくつもの不安をまとめた言葉

では、なぜ最後には、「自分はダメ」という、とても大きな言葉になるのでしょうか。

たとえば、恋人や家族に感情的に当たってしまったとします。

本当は頭の中に、

「嫌な言い方をしてしまった」
「傷つけたかもしれない」
「嫌われたかもしれない」
「面倒な人間だと思われたかもしれない」
「こんな自分と一緒にいたくないと思われるかもしれない」

という、いくつもの不安があります。

でも、それを一つずつ考えるのは大変です。
そこで全部まとめて、「自分はダメだ」という一言にしてしまう。

すると説明は簡単になります。

「なぜ人間関係がうまくいかない?」→「自分がダメだから」
「なぜ習慣が続かない?」→「自分がダメだから」
「なぜ片づけられない?」→「自分がダメだから」
「なぜまた同じことをしてしまった?」→「自分がダメだから」

何にでも使える答えです。

ただ、この答えには大きな問題があります。

具体的に何を変えればいいのかが分からなくなります。

たとえば、

「昨日は疲れていて余裕がなかった」
「言いたいことを我慢しすぎて、最後に爆発した」
「夜にスマホを触ると止めにくい」
「予定を詰めすぎていた」
「そもそも自分に合わない習慣を設定していた」

という話なら、対処できます。

でも、「自分がダメだから」で終わると、問題そのものが自分になります。

だから自己否定は、とても厳しい反省に見えて、
実際には、何が起きたのかを具体的に見ることを難しくします。

6.失敗したとき、何を切り離せばいいのか

一つの失敗から自己否定まで飛ばないために必要なのは、無理に自分を褒めることではありません。
「私は素晴らしい」と思い込む必要もありません。
大事なのは、一緒になっているものを、もう一度分けることです。

失敗したとき、頭の中ではしばしば、「出来事 → 行動 → 性格 → 人間としての価値」が一本につながっています。

たとえば、

「今日は運動しなかった」
↓
「決めたことを守れなかった」
↓
「私は意志が弱い」
↓
「私はダメな人間だ」

という流れです。

でも、事実として確かなのは、「今日は運動しなかった」というところまでです。
そこから先は、かなり大きな解釈です。

同じように、
「家族にきつく言った」という事実から、「私は性格が悪い」までは自動的には決まりません。
「友達への返信を忘れた」という事実から、「私は人を大切にできない」とも決まりません。
「部屋が散らかっている」という事実から、「自分はだらしない人間だ」とも決まりません。

そこで、失敗したときには、
「私はどういう人間なんだろう」ではなく、「今回は、何が起きたんだろう」と考えます。
「なぜ私はこんなにダメなんだろう」ではなく、「どこで崩れたんだろう」。
この違いはかなり大きいものです。

自分全体を問題にすると、何を変えればいいのか分かりません。
でも、一つの出来事として見ると、変えられる部分が見えてきます。

夜更かししたなら、「寝る直前までスマホを触っていた」かもしれない。
運動をサボったなら、「最初から30分やろうとして負担が大きかった」のかもしれない。
人にきつく当たったなら、「自分が疲れていることに気づかず我慢していた」のかもしれない。

評価の単位を、「自分」から「今回の行動」まで小さくする。
それだけでも、失敗の意味はかなり変わります。

7.「できなかった自分」を、そのまま全否定しないために

完璧主義の苦しさは、「何でもきちんとやりたい」という気持ちだけでは説明できません。
本当に苦しくなるのは、きちんとできない自分を、自分で受け入れられなくなったときです。

毎日運動できる自分。
人にいつも優しくできる自分。
感情を乱さない自分。
約束を必ず守れる自分。
部屋をきれいに保てる自分。
健康的な生活を続けられる自分。

こういう自分でいられるときだけ、「これなら大丈夫」と思える。
反対に、そこから外れた瞬間、「こんな自分ではダメだ」となる。
すると、日常の失敗がすべて、自分の価値を判定するテストのようになります。

朝起きられるか。
食べすぎないか。
部屋を片づけられるか。
人に優しくできるか。
決めたことを続けられるか。

そのたびに、「今日の私は合格か、不合格か」を判定する。
これでは、生活そのものが疲れます。

本来、失敗は、「今日はうまくいかなかった」という情報です。
でも自己価値と結びつくと、「今日は自分という人間が不合格だった」という意味になってしまいます。
つまり、情報に「ネガティブな意味づけ」をしていることが問題です。

だから必要なのは、向上心を捨てることでも、適当になることでもありません。
「うまくできたか」と「自分に価値があるか」を、同じ問いにしないことです。

失敗したなら、失敗した部分は見ればいい。
謝った方がいいなら謝る。
変えた方がいい習慣があるなら変える。
反省するところがあるなら反省する。

ただし、そこで見ているのは、今回の行動です。
自分という人間全体ではありません。
「今日はできなかった」と「だから私はダメだ」の間には、本来かなり長い距離があります。

その間に、

「疲れていた」
「やり方が合っていなかった」
「余裕がなかった」
「一度失敗しただけ」
「次は少し変えられる」

という、たくさんの可能性があります。

その距離を全部飛ばして、いきなり自分を否定しない。
完璧主義を弱めるというのは、完璧を目指さなくなることではありません。

できなかった自分も、自分の中に置いておけるようになることです。

成功している自分だけではなく、
失敗した自分、
怠けた自分、
余裕がなかった自分、
うまくできなかった自分も含めて、
それでも自分の価値までゼロにはしない。

その感覚が少しずつ持てるようになると、失敗は「自分を否定する証拠」ではなく、ただの一つの出来事に戻っていきます。

8.【ワーク】「自分はダメだ」と決めつける前に、「事実」と「自己評価」を分ける

最近、「自分はダメだ」と感じた出来事を一つ思い出してみてください。

その出来事について、次の3つを書き出します。

①実際に起きたことは何だったか
例:「夜更かしして、朝起きられなかった」

➁そこから自分にどんな意味をつけたか
例:「意志が弱い」「何をやっても続かない」「自分はダメだ」

➂事実だけに戻すと、どう言い換えられるか
例:「昨日はスマホを見続けて寝る時間が遅くなった。今日は起きられなかった。でも、それは自分全体の価値とは別の話」

    ポイントは、無理に前向きに考えることではありません。
    「起きたこと」と「自分についての評価」を分けることです。

    「できなかった」から「自分はダメだ」まで一気に飛ばず、その間にどんな解釈を挟んでいるのかを見るだけでも、自己否定の勢いは弱くなります。

    次に失敗したときは、まず一度だけこう問いかけてみてください。
    「今、私は今回の出来事を見ているのか。それとも、自分という人間全体を評価しているのか?」

    ここまで読めた時点で、もう一つ大きな変化が始まっています。

    これまでなら、失敗した瞬間に「自分はダメだ」と一気に結論づけていたかもしれません。
    けれど今は、その間に「これは出来事なのか、それとも自分への評価なのか」と気づく視点を持てています。

    完璧主義を変えるために、急に自分を好きになる必要も、失敗を気にしなくなる必要もありません。

    まずは一回だけ、「今回は何が起きたんだろう」と立ち止まれれば十分です。
    その一回が増えるほど、失敗は自分を裁く材料ではなく、自分を理解するための情報に変わっていきます。

    目指すのは、失敗しない自分になることではありません。
    失敗しても、そこから自分なりに考え、選び直せる自分になること
    です。

    その力は、すでにここから育てていけます。

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