偏見(へんけん)とは、十分な根拠を確かめる前に、特定の人・集団・物事について偏った見方や判断を持つことです。
たとえば、
- 「若者はみんな礼儀がない」
- 「この職業の人はこういう性格だ」
- 「外国人だからきっと○○だ」
のように、個人差や実際の事実を見ずに、属性や先入観だけで判断することが偏見にあたります。
「先入観」と似ていますが、偏見は特に、偏った評価や否定的な判断を含む場合によく使われます。
偏見を持つ8つの原因
①経験の一般化
人は、自分が経験したことから「次も同じだろう」と予測します。
これは日常生活では便利ですが、人間集団について使うと偏見につながることがあります。
たとえば、ある会社の社員一人に失礼な対応をされたとします。その経験から、「あの会社の人は感じが悪い」と考えるようになる場合があります。
実際に経験したのは一人だけでも、その人が所属している集団全体の特徴として理解してしまうわけです。
特に、嫌な経験や怖い経験は記憶に残りやすいため、一度の強烈な経験が大きな一般化につながることがあります。
②家庭・学校・社会からの影響
偏見は、自分自身の経験だけから生まれるわけではありません。
子どものころから、
- 親や家族の発言
- 友人との会話
- 学校での人間関係
- テレビや映画
- ニュース
- SNS
- インターネット上のコミュニティ
などを通して、特定の集団についてのイメージを学びます。
たとえば、周囲の人が繰り返し、
「○○な人は信用できない」
と言っていれば、本人には実際の経験がなくても、それを当然のことのように感じる可能性があります。このように、偏見は社会の中で学習されることもあるということです。
また、映画やドラマなどで特定のタイプの人物がいつも悪役として描かれていると、それが現実の人々への印象にも影響することがあります。
➂ 知らないものへの不安
人は、自分がよく知らないものに対して警戒しやすい傾向があります。
たとえば、
- 見慣れない文化
- 違う言語
- 違う生活習慣
- 自分とは違う価値観
などに接したとき、「よく分からない」という状態が不安につながることがあります。
その不安を、「あの人たちは危険なのではないか」という判断に変えてしまう場合があります。
実際には情報が足りないだけなのに、「分からない」を「悪い」「危険だ」と解釈してしまうわけです。
逆に、実際に交流して相手について知ることで偏見が弱まる場合もあります。
④ 人間の「分類する」性質
人間の脳は、大量の情報をすべて一から考えて処理することができません。
そのため、
- 子ども/大人
- 仲間/知らない人
- 安全そう/危険そう
- 自分と似ている/違う
というように、人や物事をカテゴリーに分けて理解します。
これは非常に基本的な認知機能です。
問題は、「このカテゴリーに入る人なら、こういう性格だろう」と、分類から個人の性格や行動まで決めつけてしまうことです。
たとえば、
「高齢者だから機械が苦手だろう」
という考え方です。
統計的な傾向が存在する場合であっても、それだけでは目の前の個人について判断することはできません。
このような「集団についての固定されたイメージ」をステレオタイプといいます。
⑤「自分たち」と「他の人たち」に分ける心理
人間は、自分が所属している集団を特別に感じやすい傾向があります。
たとえば、
- 自分の学校
- 自分の会社
- 自分の地域
- 自分の国
- 自分の世代
- 自分の趣味のコミュニティ
などです。
心理学では、自分が所属している集団を内集団、それ以外を外集団と呼ぶことがあります。
すると、「自分たちはまともだが、あの人たちは違う」という考え方が生まれる場合があります。
面白い点は、非常に些細な違いでもこの現象が起こり得ることです。
「同じチーム」というだけで仲間をひいきしたり、別のチームを低く評価したりすることがあります。
スポーツの応援などでも比較的分かりやすく見られる心理です。
⑥ 確証バイアス
一度ある考えを持つと、人はその考えを支持する情報に注目しやすくなります。
たとえば、「若者はマナーが悪い」と思っている人がいるとします。
すると、マナーの悪い若者を見たときには、「やっぱり若者はマナーが悪い」と強く記憶します。
しかし、礼儀正しい若者を何十人見ても、「この人は例外だ」
としてあまり意識しないことがあります。
こうすると、自分の考えに合う証拠ばかりが蓄積されているように感じます。
これが確証バイアスです。
偏見が一度成立すると、確証バイアスによってさらに強化されることがあります。
⑦強い感情
恐怖、怒り、不安などの感情も偏見を強めることがあります。
特に何か悪い出来事が起こったとき、人は、「なぜこんなことが起きたのか」という分かりやすい原因を求めることがあります。
その結果、特定の人や集団に原因を求め、「あの人たちのせいだ」と考えてしまう場合があります。
このように、不満や怒りの対象を別の集団に向けることを、場合によってはスケープゴート化と呼びます。
社会的不安や経済的不安が強い時期に、特定集団への偏見が強まることがある理由の一つです。
⑧情報の偏り
人は、自分が実際に会った人だけではなく、ニュースやSNSからも社会について判断します。
問題は、そこで目にする情報が必ずしも社会全体を代表していないことです。
たとえば、普通に生活している人についてはニュースになりませんが、犯罪やトラブルはニュースになります。
そのため、特定集団について否定的なニュースばかり目にすると、「この集団には問題のある人が多い」という印象を持つことがあります。
SNSではさらに、自分が興味を示した内容に似た投稿が表示され続けるため、偏った情報環境ができることもあります。
偏見を崩す12の方法
偏見を崩す方法は、単に「考え方を変えよう」とするより、偏見がどう作られ、どう維持されているかを一つずつ崩すほうが有効です。
①まず「自分の中の偏見」を具体化する
偏見は曖昧なままだと修正しにくいです。
たとえば、
「○○な人は苦手」
だけではなく、
「○○な人は自己中心的だと思っている」
「○○な人は信用しにくいと思っている」
というところまで言葉にします。
ここで重要なのは、自分がそう感じていることと、それが事実であることを分けることです。
「私はそう思っている」
と
「実際にそうである」
は同じではありません。
この区別ができると、その考えを検証できるようになります。
② その偏見がどこから来たのかを調べる
次に、
「自分はなぜそう思うようになったのか」
を考えます。
たとえば、
- 実際に嫌な経験をした
- 親がそう言っていた
- 友人がそう言っていた
- ニュースで何度も見た
- SNSでそういう投稿を多く見た
- 映画やドラマで同じ描かれ方をしていた
- 一人の強烈な人物の印象が残っている
などがあります。
ここで大切なのは、情報源の質を見ることです。
たとえば、
「実際に3人そういう人を見た」
という経験があっても、
「だから100万人いる集団全体も同じだ」
とは言えません。
経験そのものが間違っているのではなく、経験から導いた結論が大きすぎる可能性があるということです。
➂「どこまでなら事実と言えるか」を狭める
偏見には、事実を必要以上に広げる特徴があります。
たとえば、
「Aさんに騙された」
これは事実かもしれません。
そこから、
「Aさんの所属する集団は信用できない」
となると、一気に推論が広がっています。
そこで、
確認できた事実だけに戻す
という作業をします。
「○○人は信用できない」
ではなく、
「私は○○人のAさんに一度ひどいことをされた」
まで戻します。
この違いは非常に大きいです。
前者は集団についての判断ですが、後者は一人についての経験です。
④ 反例を探す
偏見は、自分の考えに合う出来事によって強化されます。
たとえば、
「金持ちは性格が悪い」
と思っている人が、
性格の悪い金持ちを見ると、
「やっぱりそうだ」
と思います。
ところが、親切な金持ちを見ても、
「この人は例外」
として処理してしまうことがあります。
これでは、どんな情報が入ってきても偏見は崩れません。
そのため意識的に、
「この考えが間違っているとしたら、どんな例があるだろう?」
と考えます。
科学的な考え方に近いです。
自分の仮説を証明する材料だけでなく、反証する材料も探します。
⑤「一人の反例」だけでなく、ばらつきを見る
ここは重要です。
偏見を崩す目的は、
「○○な人は悪い」
から
「○○な人は良い」
に変えることではありません。
それも別のステレオタイプだからです。
目指すのは、
「○○という属性だけでは、その人がどういう人物かは分からない」
という認識です。
たとえば、
「若者は無責任だ」
↓
「若者にも責任感の強い人と弱い人がいる」
という変化です。
つまり、偏見を崩すとは、集団に対する一枚絵を、人によって違うという認識に変えることとも言えます。
⑥ 実際の個人と接する
偏見は、対象となる人々との接触が少ないと維持されやすくなります。
なぜなら、実際の人物ではなく、
「○○という人たち」
という抽象的なイメージだけで考えることになるからです。
実際に複数の人と接すると、
「同じ属性でも全然違うな」
という経験が増えます。
たとえば外国人に偏見を持っていた人が、実際にさまざまな国籍・性格・職業の人と関わると、
「外国人」という巨大なカテゴリーで人を判断すること自体が難しくなってきます。
ただ、一人だけと接して、
「この人は良い人だから、この集団は全員良い人だ」
とするのも一般化です。
重要なのは、複数の個人を見ることです。
⑦「集団の代表者」として見ない
偏見があると、人は相手を一人の人間ではなく、
「○○人代表」
「男性代表」
「女性代表」
「若者代表」
「高齢者代表」
のように見てしまうことがあります。
すると一人の行動が集団全体の評価に直結します。
たとえば、
ある外国人が失礼だった
↓
「外国人は失礼だ」
となります。
ところが自分と同じ集団の人が失礼だった場合、
「あいつは性格が悪い」
と個人の問題として処理することがあります。
この非対称性に気づくことが大切です。
「自分の集団の人なら個人差として扱うのに、別の集団だと属性のせいにしていないか」
と考えます。
⑧ 感情と判断を切り離す
偏見には感情が強く関係します。
たとえば、
恐怖
嫌悪
怒り
嫉妬
不安
などです。
ここで、
「怖いと感じた」
ことと、
「危険である」
ことを分けます。
怖さは本物です。
しかし、その感情が相手についての正確な情報であるとは限りません。
たとえば知らない文化に対して、
「なんとなく怖い」
と思うことはあります。
その場合、
「私は怖いと感じている」
までなら確実です。
しかし、
「だからこの人たちは危険だ」
になると別の判断が加わっています。
この一段階を分離するだけでも、偏見はかなり検討しやすくなります。
⑨ 「例外扱い」に注意する
かなり強い偏見を持っていると、反例を見ても偏見が崩れないことがあります。
たとえば、
「○○人は怠け者だ」
と思っている人が、非常に勤勉な○○人に会っても、
「あの人は特別だから」
と処理します。
これを繰り返すと、
どれだけ反例があっても偏見が残ります。
そこで、
「自分は反例を全部“例外”として処理していないか」
を確認します。
例外が大量に存在するなら、そもそものルールのほうを疑う必要があります。
⑩統計と個人判断を分ける
少し難しい部分です。
場合によっては、集団間に実際の統計的な違いが存在することもあります。
しかし、
集団平均の違い
と
目の前の個人の特徴
は同じではありません。
たとえば、
ある集団で平均身長が高いとしても、
その集団に属する一人を見て、
「この人は必ず背が高い」
とは言えません。
性格や能力についても同じです。
偏見を避けるには、
「集団について何らかの傾向がある」
ことと、
「この個人がそうである」
ことを区別する必要があります。
⑪自分の判断基準を対称にする
かなり有効な方法です。
たとえば、
「○○という集団の人が犯罪をした。やっぱりこの集団は危険だ」
と思ったとします。
そこで、
「同じことを自分の所属集団の人がしたら、集団全体の特徴だと考えるだろうか?」
と考えます。
考えないのであれば、判断基準が非対称になっています。
同じ行動に対して、
自分側 → 個人の問題
相手側 → 集団の問題
としている可能性があります。
⑫判断を保留する能力を持つ
偏見を減らすうえでかなり重要なのが、
「分からない」と言えること
です。
人間は分からない状態を嫌うため、
「きっとこういう人だ」
と早く結論を出したくなります。
しかし実際には、
「まだ情報不足」
というケースがかなりあります。
たとえば初対面の人物について、
「冷たい人だ」
と決めるのではなく、
「今日はあまり話さなかった。理由はまだ分からない」
とする。
この「判断保留」が、早すぎる一般化を防ぎます。
偏見に気づいたときの実践的な流れ
実生活では、次の順番で考えると使いやすいです。
- 自分は今、何を決めつけた?
- その根拠は何?
- それは何人分の経験?
- 個人の特徴を集団全体に広げていない?
- 反対の例はある?
- 反対の例を「例外」で片づけていない?
- 同じことを自分側の人がした場合も同じ判断をする?
- 属性を抜きにして、この人個人について何が分かっている?
- 現時点で本当に結論を出せる?
- 新しい情報が出たら考えを変更できる?
一番重要なこと
偏見を崩すとは、
「自分の最初の判断を信用しない」ことではありません。
最初の印象や経験は情報の一つとして使えます。
重要なのは、
最初の判断を最終結論にしないこと
です。
「今のところこう思う。しかし、新しい情報によって変わり得る」
という状態にしておく。
この姿勢があると、偏見が生じても固定化しにくくなります。
要するに、偏見をなくす能力より、偏見を修正できる能力のほうが重要です。


