うつ病と診断される前から、僕は無気力で強いネガティブ思考でした。
「勉強がめんどくさい。外に出るのめんどくさい。テレビ見よう」とだらだらと過ごすことがほとんどで、むなしさを感じることが多かったです。
特に中学2年生の不登校時期と、20歳ぐらいのときは、ずっと同じテレビゲームを繰り返して、引きこもっていました。
でも、それ以外の時期は、テレビを見て笑い、漫画を見て面白いと思い、ゲームや友だちとの麻雀にハマっていた時期もあります。恋人がいたこともあります。
ただ、楽しいことはあっても、充実感を感じることはほとんどありませんでした。
社会人になるとうまくいかないことが増えて、職を転々としてました。
常識を知らず、知識もなく、体も心も弱い僕には、どこもハードルが高かったです。
人とコミュニケーションを取るのが苦手で、人間関係がいつもしんどかったです。
でも、23歳から勤めたコールセンターは6年近く続けることができました。今思えば周りに優しい人が多かったんだと思います。
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でも当時の僕は、独りよがりで感情が不安定なこともあり、人間関係で苦しんでいました。
主な原因は、虚勢をはって自分を偽っていたことです。
結局自分で自分を苦しめて、メンタルを壊して、うつ病と診断されました。
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野上しもん
・29年間の睡眠障害を克服
・5年以上の双極性障害とうつを克服
・上級睡眠健康指導士
・メンタル心理カウンセラー
・食生活アドバイザー
・YouTube「メンタルコーチしもん」登録数1.3万
著書
・眠れない理由を知って眠れる方法を知れば安眠
・脱・中途覚醒 “夜中に目覚める”悩みが消える
・12歳になるまでに読みたい 「子どもの睡眠」
29歳の時にうつ病と診断。その後、双極性障害と診断された
29歳の時にうつ病の診断を受けました。
すぐに退職ではなく、休職や午前勤務などを半年ほど続けたと思います。
職場ではどうコミュニケーションをとればいいか分からなくなっていました。
素直にもなれず、虚勢もはることもできなかったからです。
職場に迷惑をかけている罪悪感と苦しさから逃げるように退職を申し出て、やめました。
このあたりの書類手続きのときに、自分の病名が双極性障害に変わっていることに気づきました。
退職してから、家族やそれまでの人間関係と距離を置き始めました。
自分を見せるのも嫌だし、何を話していいかがわからないし、会えば虚勢をはってしまうので、とても疲れてしまうからです。
家族の中でも兄のことは信頼していたんですが、同じ家庭で苦しんでいたという思いもあり、迷惑をかけたくない想いが強かったです。
うつ症状が悪化していく中で、「うつ病になる前の自分に戻りたい」と毎日のように考えていました。
うつ病になる前から現実を不満に思っていたのに、「失ってから気づく」というものですね。
仕事して、人と話せる環境があって、負い目なく人と顔を合わせることができる。
ゲームや漫画を楽しんでいた日々は、うつで苦しみ始めてからは、「良い日々だったな」と思えてきたんです。
失ってから気づくなんて、「なんて自分はバカだろう」と自分を責めることが増えました。
でも残念ながら、このときも大切なものに気づかず、失い続けていたんです。
今の自分を見ずに、過去と存在しない未来を妄想する毎日
当時の僕は「もう少し職場にいた方が良かったのかな」とか、「前に交流していた人と話すことはできないかな」と、いろいろと悩んでいました。
それがどんどん進んでいくと、学校時代もっと勉強すればよかったな、部活入ればよかったな、友だちと素直に話せていればよかったな、小学生のころもっと両親にしんどいと伝えれば良かったな。
と考えて、過去に戻ってやり直した未来を妄想することも多かったです。
だけど、それって今の自分を見ることなく、すごくないがしろにしている考え方ですよね。
今の自分はお風呂に入ることも、外に出ることも、人と話すこともすごく苦しい。
だけどその中で、毎日薬を飲んで、少しでも栄養がとれればと飲むヨーグルトを飲む、病院は苦痛だったけど行っている。ゴミ捨ても毎週はできていないけど、定期的にしている。
ゲームは楽しめないと思いながらも、楽しもうとしてゲームにも手を出している。
「なんとかしよう」と、もがいていた自分はいたんです。
うつ症状の苦しい中でこういった行動するのって、今僕がランニングや勉強や仕事をするよりも、かなり難易度が高くて苦しいことだったんですよね。
今振り返れば、このときの自分は「どうすればいいか?」の方法を知らなかっただけで、がんばっていたと思うんですよね。
そんな何とか生きようとしている自分を、僕は無視して、過去ばかり考えていました。
いや、無視するだけではなく、攻撃的に否定していました。
今思うと、「かわいそうなことをしたな」と思います。
自分を否定すれば否定するほど、心地よさもあった
僕は「何とかしなきゃ」とあがいて疲れて、自暴自棄になってを繰り返していました。
何とかしなきゃと思う時は、「朝散歩をしよう」「資格の勉強しよう」「仕事探そう」とか、頑張ろうとしていたんですね。
でも、自暴自棄になると、スマホをゴミ箱に捨てたり、自分の好きな漫画や薬を捨てたり、自分に暴力を振るったりと、色々していました。
自分に罰を与えないと気が済まなかったんですよね。
罰を与えて自分が苦しめば苦しむほど、病状は悪化して、より悪い方向に向かっているのにおかまいなしでした。
自分を攻撃することに、心地よさもあったんです。
「お前が悪いから罰を受ける。自分はお前に対して正しいことをしている」という、言葉にすると怖い考え方を持っていたんです。自分にもっともっと後悔をして欲しいと思っていました。
当時は「自己否定を治したい」と思うことはそれほどなく、むしろ自己否定が生きがいになっていたんです。
自己否定をすればするほど、「自分がダメだから人生がうまくいかない」と今に納得できるような気がしていました。
僕が自己否定にとらわれていたのは、自分が小さな希望を持っていたからです。
少し調子が良くなると、
・栄養があるものを食べようとする。
・「何か楽しめることがないかな」とテレビゲームや漫画を見ようとする。
・どうせ挫折すると思いながら、朝散歩にチャレンジする。
など、いろいろと僕はやろうとしてしまうんです。
でも続かずに、病状は悪化していく。
「だったら、もうあきらめろよ」と思う気持ちが、強い自己否定につながっていました。
当時は自分に対して「自分はゴミという自覚をもっと持った方が良い。人間のふりをするな。そっちのほうが楽だぞ」と、本気で思っていたんですよね。
自分を否定しきれないことが分かった
35歳の時に命を捨てることができず、自分を否定しきれないことが分かりました。
その後もいろいろと試していたんですが、どうしても生きる選択肢をとるんですよね。
この辺りから、少しずつ物事を冷静に考えるようになってきました。
自分を否定しきれない自分を疑うようになったからです。
そこから自己否定をする自分を疑うと、いろいろなものを疑い始めました。
病院の先生を疑う。今までの本の知識やネットで見る知識を疑う。自分のしていることを疑う。
しばらく、ぼーっとする日が続いて、「これからどうしていこう?」と考えていました。
いろいろと疑い始めた結果、何も行動ができなくなってしまうので、結局は「何かを信じなきゃいけないな」と思いました。
自分の考えも、お医者さんの言葉も、本もネットの知識も信じられないなら、何が信じられるだろう?と考えると、「実際にできそうなこと」であり、「どう考えてもこれはいいでしょ」というのを行うことから始めました。
・朝カーテンを開ける。
・深呼吸を増やす。
・お米など一般的な食事をとる。
・本を少し読む。
・動画の音声を聞く。など。
※ちなみに本と動画は、知識を得るためです。
知識を疑い始めたんですが、知識そのものは大切とも思っていました。
ただ、知識を知るだけではなく、使ってみないと判断できないと、考えるようになっていたんです。
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無意識に「うつ病になる前の自分」に捉われる
「自分を信じるのをやめた」と言いながら、うつ病になる前の自分が0の状態で、今の自分はマイナスと、まだ考えていました。
うつ病になる前の自分が「正常な自分」で、今のうつ病の自分は「異常な自分」。
うつ病が回復すれば、、本当の自分を取り戻すことができる。と考えていたんです。
考え方が、0からプラスに進むではなくて、マイナスを0にするという考え方だったんですね。
でもこの考え方が、不安やストレスが高まる考え方である「回避を求める・結果を求める・他人の価値観で動く」につながっていたんです。
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想像以上に「うつ病になる前の自分」という、過去の自分にとらわれていました。
うつ病をわずらっている今の自分を、認めることができなかったんです。
だから、今の自分をマイナスと考えてしまって自己否定していました。
そこで出会ったのが、自分を思いやる心理学である「セルフコンパッション」ですね。
セルフコンパッションはいくつか方法があって、その中で取り入れたのがセルフコンパッション日記でした。
筆記開示、日記を書く、ジャーナリングなどの文字を書く系がメンタルに良いという話を聞くことが多かったからです。もともと文章を書くのが好きなのもあったかもしれないです。
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今の現実の自分に目が向くようになった
セルフコンパッションを通じて、「過去の自分に戻りたい」と考えることがなくなってきました。
もちろん急に完全になくなるということはありません。
ただ、うつ病を患っている自分が、今の自分自身。それが現実を生きる本物の自分だと思えるようになったんですよね。
あと「過去の自分に戻りたい」と後悔する想いも、人としては当たり前の感情なので、あまり気にしなくもなりました。セルフコンパッションの人間としての共通性が育ってきたからだと思います。
ここからは何をやるにしても、「楽しい」という感情が芽生えやすくなりました。
この頃はまだ、強いうつ症状や寝込んでしまうこともあったんですが、1つ1つの行動が「前に進む」という感覚があるんですよね。
なぜなら今までは、マイナスを0にするという思考だったが、今の自分が0なので、プラスにしていく・積み上げていく感覚が得られたからです。
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強いうつ症状で寝込んでしまうときは、自分とのコミュニケーションが増えました。
「ずっと自分はついているから大丈夫」
「今はしんどさに逆らわずに深呼吸しよう」
「少し体を動かしたほうが、回復するかちょっと試してみよう」
と自分に話しかけながら、自分を落ち着かせていました。
うつ病の回復期に思った以上の充実感があった
うつ病が回復していくとき、ずっと順調だったわけではありません。
僕の場合は、半年で双極性障害の薬や抗うつ薬を10錠近くやめました。離脱症状や薬を飲まないしんどさがあり、基本的に体調は不安定でした。
薬も順調にやめていったわけではなく、減らして、また戻して、減らしてを繰り返すこともありました。
1週間単位で薬を増減するので、体調不良の原因が分かりにくかったです。
※僕が薬をやめるときの減らし方は参考にしないでくださいね。
1つ1つ知識を試して、できることが増えていく。同時に体調が不安定になったり、安定したりを繰り返す。ポジティブな感情とネガティブな感情が入り混じっていました。
でも、「ポジティブな感情とネガティブな感情の両方があったこと」と「自分とのコミュニケーション時間がとても増えたこと」が充実感にもつながっていました。
自分に「どう感じているか?」「どう考えているか?」を聴いていく。
だけど、そもそも冷静さを失っているかもしれないから、お医者さんや会う人に、自分の様子をそれとなく聞いてみる。
信頼できる人であれば、僕の声のスピードや、表情や、いつもと言葉の選び方に変化がないかを聞いてみる。
自分と人の言葉を参考に知識を試しながら、調子の波を減らしていきました。
あとからまわりの人の話を聞くと、どうやら複数回は躁状態になりかけていたこともあったようです。
ただ、回復期間から今にいたるまで強い躁状態にはならずに来ていると思います。
寝込む期間も、長くても2日ぐらいで終わるようになっていました。
調子が良くても悪くても、可能なレベルで生活リズムを守るようにしていました。
調子が良いから行動を増やす、調子が悪いから行動を減らすでは、ずっと不安定になると思っていたからです。
おかげで、生活リズムがある程度整いました。不眠症状は続いていたものの体内時計が整ってきたことで、体や心の調子が上向きになってきたこともあると思います。
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薬をやめた後も、同じようにセルフコンパッションと自分の体調を意識しながら、生活ができています。
コーチング・カウンセリング、講師、本の出版、YouTube、ランニング大会入賞などできることが増えてきました。
これからも、自分の言葉を聞き、望む方向に進むにはどうすればいいかを考えて、自分を過信せずに知識に頼って、自分を導いていこうと考えています。ただ最近は自分の思考力に前よりは頼るようにもなってきています。このあたりも試行錯誤しながらですね。
続き:うつ病になる前の自分に戻りたい「セルフコンパッションを無意識に高める方法」
1.セルフコンパッションは理解を深めるだけで、「自分を大切にできる」
2.セルフコンパッションは誤解すると単に自分を甘えさせることになる
3.セルフコンパッションの理解を高める手軽な1つの方法
4.セルフコンパッション式コンフォートカード
5.人生で最も一緒にいる人が味方になる
▼自分を大切にして行くことにご興味がある方はご覧ください
うつ病になる前の自分に戻りたい「セルフコンパッションを無意識に高める方法」